39-壊れて、堕ちて、染められて 2/2

 
眠らずにずっと泣いていたせいか、頭が痛い。泣き疲れて、そのまま床の上で寝転び、どこを見つめるでもなく、虚ろな瞳は壁と床をただうつしていた。
 
(どうして……こんなことに、なっちゃったんだろう……。みんなおかしくなっちゃった。まちも、めちゃくちゃになっちゃった……)
 
どうして。
それはダーカーのせい。ダーカーたちが、街を、みんなを、両親を狂わせた。
でも、ダーカーはアークスたちがやっつけてくれる筈だった。
 
(アークスのひとたちが……たすけてくれなかった、から……)
 
両親の言っていた通り、この艦は見捨てられたも同然なのだろう。どうしてなのかは分からない。
ダーカーはアークスの敵で、人々の敵で、宇宙の敵で、アークスはダーカーから人々を守る筈で。
 
アークスが、アークスが、
 
(アークスが……アークスが、わるい……。うらぎった、アークスが、わるい。どうしてたすけてくれなかったの?どうして、たすけてくれないの。こんなことになっているのに、どうして、どうして)
 
急激に膨れ上がる憎悪。虚ろだった瞳には怒気が宿り。
 
「……ゆるさない……」
 
瞳からはまた涙が流れ、それを拭いながらゆらりと起き上がる──
 
「……っ!!!」
 
はっと、我に返った。
今、自分は何と言った?
 
「……かあさんと、とうさんと、おなじこと……だ、だめだ……こんなこと、かんがえちゃだめ……おかしく、なっちゃう……」
 
アークスの事を思った途端に、尋常では無い憎しみに支配されたのが、とてつもなく恐ろしかった。これも、この部屋を──否、この艦を占めるダーカー因子の影響なのだろうか。
両親はきっと、ダーカー因子の影響を強く受けてしまっているのだ。ダーカーコアが刺さっていたから、余計に。
 
「かあさんと、とうさんは……もう、もとにもどらないのかな。やさしいかあさんととうさんには、もどらないのかな。もう……あそんでくれないのかな……」
 
悲しい事ばかりが頭をよぎる。立ち上がりかけたのをもう一度座り込もうとすると、不意にスピーカーから声が聞こえた。
 
「ヴィエンタ、おはよう。……あら、眠っていないの?」
「体を壊すぞ。今からでもちゃんと寝ておきなさい」
 
両親の声。──今日は、声色も様子も普通みたいだ。
 
「ご、ごめん……。……」
 
ほんの少しホッとしつつも、背後にあるベッドを振り返ると、やはり機材の物々しさに冷や汗をかいた。
 
「もしかして、怖いのかしら?」
「えっ、う、うん……」
「もう、おうちでは一人でも眠れていたじゃない。仕方のない子ね」
 
そうやって笑いながら、母が部屋の中に入って来た。……いつもの優しい笑顔だった。
母はヴィエンタをひょいと抱っこして、ベッドの上まで運んで寝かせた。今よりも小さい頃、よくこうやって寝かしつけられていたことを思い出した。
 
「大丈夫よ。ちゃんと眠れるまで、お母さんがついててあげるから」
「……うん……」
 
母はそう言って、ヴィエンタにそっと布団をかけた。そして、温かい手で、ゆっくりと規則正しく、胸をぽん、ぽん、と優しくたたいた。
なかなか眠れなかった時によくやってくれた、「ぽんぽん」だ。
 
(よかった……、やさしい、かあさんだ……)
 
急速に緊張が解けていき、ヴィエンタは5分と経たないうちに深い眠りに落ちた。
 
寝顔を見つめる母の瞳が、真っ赤に染まっていることには気付かないまま。
 
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──眼下に、逃げ惑うアークス、立ち向かってくるアークス、色んなアークスが見える。
 
その全てを叩き潰し、握り潰し、侵食していく。悲鳴が聞こえる。怒声が聞こえる。助けてくれ、なんてことを、許さない、色んな言葉が聞こえてくる。
 
それがどうしたの?そっちだって、私たちを裏切った。
 
絶対的な力を以て彼等を侵していくのが、とてつもなく愉快で爽快で気持ち良い。
これは私と、母さんと、父さんと、艦のみんなの怒りだ。みんなの分まで、復讐を果たしてみせる。アークスを、残らず侵食する。
 
「それが私の──」
 
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「──そレがあなたノ役目なのダカら」
「ッ!!?」
 
ヴィエンタは文字通り、跳ね起きた。鼓動が早くて、うるさい。はぁ、はぁ、と必死に息を整えた。
今の夢は、一体何?アークスたちを蹂躙していたのは、自分なのか?もしかして、もう自分までおかしくなってしまったのか?それに。
 
「か、かあさん、いま……」
「あら、起きたのね。よく眠れた?」
 
にこり、と優しい笑顔でヴィエンタの顔を覗き込む母。それなのに、今は安心できなかった。──ほんの一瞬、瞳が赤く光っていたのを、ヴィエンタは見逃していなかった。
そして、ふと自分の体を見渡すと。
 
「!!ね、え、なにこれ……!?」
 
周囲の機材から延びるコードが、首や腕に刺さっていた。刺さっている場所を中心として、かすかに赤黒い根のようなモノが這っている。ダーカーコアが刺さっている状態と、よく似ていた。
 
「やだ、とって!!これ、とって……!!」
「ダメよ、これは大事なお薬なの。もう少しだけ我慢して、ね?」
「いやだ!!いやだっ!!」
 
恐怖が心身を支配し、ヴィエンタは泣き叫びながらベッドの上でじたばたと暴れた。しかし、それは突然両腕に圧し掛かった力によってすぐに封じられた。
 
「どうシて言う事ガ聞けないノ?」
「あ、あ……?」
 
ぎりぎり、と音が聞こえるくらい、およそ人とは思えないくらいの力で、腕を強く押さえつけられている。それに、見たこともないくらい、怖い顔をしていた。
 
「っ……ごめん、なさい……、いいこに、してるから……ゆる、して……いたいよ……かあさん……」
 
ヴィエンタの言葉を聞くと、母はすっと力を弱め、両腕から手を離した。
 
「ヴィエンタは、やっぱりいい子ね」
 
母はまた、優しい笑顔を向けた。
 
---
 
どのくらいの月日が経ったのだろう。
 
何回も何回も、アークスへの憎しみに飲み込まれそうになった。段々心と一緒に体までおかしくなっていく母と父を見ているのが辛かった。
そんな母と父に、「アークスを残らず侵食する。それがあなたの役目」と聞かされ続けながら、少しずつ少しずつダーカー因子を流し込まれた。
 
「ヴィエンタも、アークスが憎いでしょウ?復讐すルの。一緒に、頑張ろウね」
「もウ少しダ。良い子ニしていなさイ」
 
違う。そんなことをしたい訳じゃない。
アークスは確かに憎い。でも、その憎しみに突き動かされて暴走している母が、父が、それ以上に怖かった。こんなことは、間違っている。
 
「何モ間違ってナんかいナいよ」
「そレがあなたノ役目」
 
嫌だ。そんなことは、したくない。したくないし、してほしくない。これ以上、憎しみに呑まれないでほしい。
 
優しかったあの母と父に、戻って欲しい──
 
 
 
 
 
 
「やっトね、アナタ」
 
「ああ、やっトだ、オルディネ」
 
「立派な、良い子に育っテくれて、嬉シイわ、ヴィエンタ」
 
「お前ヲ誇りニ思うよ、ヴィエンタ」
 
「きっト私たチの願いヲ叶えテくれル」
 
「そレがお前ノ役目なのだカラ」
 
そんな切望も虚しく、両親は最後まで狂ったままだった。
 
気が付けば入れられていた真っ暗な空間の中から、母の手で引きずり出される。
 
「さア、最初のテストをしマしょウ」
「お前ガどれ程の『兵器』ニ仕上がったノか、見せなさイ」
 
嬉しそうに、真っ赤な瞳を細めて嗤う両親の顔が、最後に見たものだった。
 
 
 
 
 
 
 
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「─────!!!!!」
 
目を開けた。
 
真っ黒な空間の隙間から見える、母の顔。恍惚とした表情でこちらを見ていた。
 
「あラ、起きタノね。よく眠れタ?」
 
ああ、あの時と同じ言葉。
でも、優しさなんて、見る影もない。
 
(──もう、戻れないんだね。母さん。)
 
なら……
 
「あア、まだよ、まダ少しお薬が足リテ」
 
言葉を最後まで聞かない間に、空間の膜のようなものを突き破る。「全ての」腕をもってして、全力で、こじ開けた。
 
そして。
 
「ぅ、あああアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
 
ヴィエンタは母を、己の手で引き裂いた。
 
「ァが、ァアッ……?」
 
母は、何が起きたのか分かっていないのか、歪んだ笑顔のまま床に倒れて、動かなくなった。
 
「こ、レで、いい……あと、ハ……私、ガ……」
 
正気を辛うじて保っているうちに、全てを終わらせなければ。
 
黒いトゲのような、羽のようなモノを、自分の目の前に生成し、鋭角を全て自分の方に向けた。後はこれを一思いに放てば、終わる。これ以上、誰も苦しめずに悲しませずに、終われる──
 
 
 
──『勝手に諦めんなこのバカッ!!!!』
 
 
 
 
「ッ…………!!!」
 
本当に、「誰も苦しめずに悲しませずに」終われるのか。
大事な人の顔と言葉が頭を過ったが、
 
 
 
 
その一瞬の精神の乱れのうちに、保っていた自我が崩れ去って行った。