38-壊れて、堕ちて、染められて 1/2

 
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夢を、見ていた。
 
見上げると、青い空の下、母さんの笑顔。反対側で、気難しそうな父さんの不器用な笑顔。挟まれ、両手を繋いで、両足は地面から離して、宙ぶらりんになって遊んでいる。
 
──ああ、そうだ。
 
優しかった。優しかったんだ。
 
 
 
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14年前。
 
106番艦 オーヴァ。
 
「かあさん、とうさん、きょうも『ケンキュウ』なの?」
「そうよ。大事な大事な研究なの。アークスが悪い敵さんをやっつける助けになる研究よ」
「おそくなる?」
「ああ。すまないな。日付を超えるまでには帰るさ」
「そっかあ……」
 
研究者を両親に持つこの少女は、しょんぼりと項垂れた。
 
「元気出して?良い子にしてたら、また見学に連れて行ってあげるから」
「ほんとっ!?じゃあ、いいこにしてる!」
「母さんの言い付けを守れる良い子だ。留守番も頼んだぞ、ヴィエンタ」
「うんっ!」
 
母と父に留守を任され、ぶんぶんと手を振って元気に2人を送り出した。
 
この『オーヴァ』という艦は、通常のアークスシップに比べて研究区画が広い。元々フォトン等アークスに有用な研究に特化した艦として造られたためである。
──管轄はアークスだが、その裏で実権を握っているのは『虚構機関』だという事実は、上層部の者しか知らない。
 
ヴィエンタの両親も、それを知らなかった。何も知らず、アークスのため、平和のためと、日々研究に邁進していた。
両親は帰りが遅かったり、帰ってこない日も多かったため、ヴィエンタはほんの少し寂しい思いもしていた。それでも、手が空いた時は沢山遊んでくれるし、たまに研究施設の見学にも連れて行ってくれた。だから、とても幸せだったし、寂しくても待っていられた。
 
「つぎは、いつあそぶのかな。たのしみ!」
 
手近な玩具を手に取って遊びながら、また家族みんなで遊びに行ける日に期待を膨らませていた。
 
昼食も夕食も、作り置きしてあったものを自分で温めて食べ、1日家で一人遊びをしていた。日付を超えるまでには帰ると言っていたし、帰ってくるまで寝ずに待っていようか。でも、ちゃんと寝ていないと怒られるかな。そんな考えが頭を巡りながら──
 
 
 
 
 
 
「……まだかなあ」
 
深夜1時。
眠い目をこすりながら、随分と待っていた。
両親は、まだ帰らない。
 
たまにこんな日もあったし、こういうときは諦めてベッドに潜り込む。けれど、今日はなんだか、そんな気にはなれなかった。妙に胸がざわつくのだ。
 
「かあさん、とうさん……」
 
今、どうしているだろう。そう思って、研究区画がよく見えるバルコニーに出た。
 
「……!?」
 
目に飛び込んできたのは、研究区画の一角が真っ赤に染まっている光景。夜空の星の光を食い尽くしてしまうのではないかというほど、赤い。火事……ではない。炎の赤とは違うし、煙も出ていない。もっと禍々しい、何か──
 
 
 
『緊急警報発令。研究区画C-3にて、ダーカー因子の異常反応。アークス各員は区画へ急行しダーカー因子の浄化と研究員の避難誘導を……』
『緊急警報発令!アークス船団周辺宙域……いや……オーヴァに、多数のダーカーが接近!アークス各員、研究区画の対応とダーカーの迎撃対応へ分担して向かわれたし!』
 
2つの緊急警報……?
 
「そ、そんな、どうしよう、かあさん、とうさん……!」
 
今までこんなことは一度もなかった。研究区画からダーカー因子の異常反応があらわれることもごく稀だというのに、何故ここにダーカーの襲撃が重なってしまったのか。
ダーカーの不快な金切り声と、アークスの戦う音と、人の悲鳴が、だんだん近づいてくる。
研究区画に居るであろう両親が危ない。でも外に出れば、待つのは死。ヴィエンタは、頭の中が真っ白になり、バルコニーで立ち尽くしていた。しばらくそうしていると、ハッと思い立って、どこかに隠れなければ、と身を隠せる場所を探した。自分の部屋に飛び込むと、ベッドの下の隙間が目に入る。
 
「こ、ここで、まってたら、きっと……。かあさんも、とうさんも、アークスさんが、たすけてくれて、かえってくる、いいこに、まってれば、かえってくる……!」
 
震える声で自分に言い聞かせ、ベッドの下へ潜り込んだ。
自分の息遣いが、やたらにうるさい。外にいるダーカーに聞こえてしまう気がして、必死に息を止めようとしては続かず、また息を吸う。ベッドの下で蹲り、何度もそれを繰り返しながら、両親の無事と帰りを願った。
 
 
 
 
 
 
どれくらい経ったのだろうか。
 
外は変わらず、ダーカーの声がする。時間が経ち過ぎて、それにも慣れてしまった。
慣れてくると、それまで極限まで緊張していた心が、急速に解れていった。同時に、疲労がどっと溢れ出し、強烈な睡魔に襲われた。
 
「まだ……かあさんと、とうさん、かえってくるの……またなきゃ……」
 
再び、緩んだ心を引き締めた。
自分の呼吸の音も、今はさほど気にならない。耳に入るのは、ダーカーの声ばかり……
 
「……え」
 
そう。
ダーカーの声しか、しない。
 
「う、うそ、だ、みんな……みんな、」
 
そこから先は、口に出すのも怖かった。
 
「ひっ……、う、う……!」
 
勝手に体が震え、涙が溢れ、嗚咽が漏れる。また、あの緊張が戻ってきた。泣き声を悟られる気がして、抑え込もうとするが、体は全くいうことを聞かなかった。
そして。
 
『迎撃失敗、戦闘可能アークスはゼロ。……この艦を、オーヴァを……放棄します』
 
オペレーターの言葉に、ヴィエンタは泣くのをやめ、呆然とした。
 
「『ほうき』……!?」
 
両親の難しい会話を普段から聞いていたため、この言葉の意味は知っていた。
 
「や、やだ!!おいてかないで!!まだ、かあさんと、とうさんが……!わたしだっている、のに……!」
 
生存者を捜さずに放置して、この艦を棄てるというのか。なぜ、どうして。
思わずベッドの下から飛び出し、叫んだ。が、そのあとすぐに我に返り、ある異変に気付く。
 
窓から入ってくる光が、赤い。
窓から見える空が、街が、赤い。
部屋の中に、赤黒い根のようなものが這っている。
 
「あ……、あ……!」
 
あまりの絶望的な状況に理解が追いつかず、心臓からどくどくと恐怖が全身に流れ出すような感覚だけが襲う。
ヴィエンタはこの恐怖の奔流に意識を飲まれ、倒れ込んだ。
 
 
 
 
 
 
「──タ、ヴィエンタ!!」
「返事をしなさい……!」
 
誰かの声で、目を覚ました。
涙で貼り付いた瞼をこじ開け、ゆるゆると目を開けて、声の主を確認した。
 
「!!!」
 
視線の先にいたのは、帰りを待ち望んでいた人。
 
「かあ、さん、とうさんっ……!!」
 
ヴィエンタはまた、わっと泣き出し、両親にしがみついた。
赤黒く染まった部屋の中に、そこだけ暖かい光が灯ったようだった。
 
「ごめんなさい、怖かったわね……。母さんと父さんは大丈夫。ヴィエンタもよく無事だったわね……」
「私たちがついてるから、もう安心なさい」
「うん、うんっ……」
 
ひとしきり泣き終え、両親も立ち上がり、ヴィエンタを挟んでそれぞれの手を繋いでやった。いつも遊びに行く時、決まってこうして歩く。こうしていると、安心した。
 
「さあ、行きましょう」
「……?いく、どこへ?そとは、あぶないよ……?」
「大丈夫だ。母さんを信じなさい」
「う、うん……」
 
外は危ないけど、母さんと父さんが守ってくれるだろう。きっと、外にもっと安全な隠れ場所を見つけていて、そこに連れて行ってくれるのだろう。そう信じて、ヴィエンタは両親に手を引かれて家を出た。
 
手を引かれるまま、外を小走りに駆けていく。その通り道では、ダーカーに殺されたアークスや民間人の死体がそこかしこに転がっていた。3人の進路に横たわる者もいた。が、両親はヴィエンタの制止を聞かず、そして死体を一瞥もせず、飛び越え、時には踏み付けてまで進んで行った。その度にヴィエンタは死体に足を取られては転び、両親に起こされて、また走った。
 
「っ!!」
「ほら、前をよく見ないと危ないでしょう?」
「これで何度目だ。ちゃんとしなさい」
「……」
 
転ぶ度に体に触れる、まだ生暖かい人肌の感覚を拭う間も無く、また立たされた
 
何度目かになるそれで、やっと、両親の異変に気が付く。
 
「え……」
 
両親の首筋に、ダーカーコアが刺さり、根を張っていた。
 
 
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連れてこられたのは、両親が務めている研究所。たまに見学に連れてきてもらっていた、馴染みの場所。
 
しかし、今は赤黒い網のようなモノが建物の所々に広がり、襲撃時に壊れたのかあちこちが崩れ落ちていた。
そんな変わり果てた研究所に、なんの疑問も抱かず入っていこうとする両親。ヴィエンタは訳も分からないまま手を引かれていった。
 
「あ、の……おかしい、よ……?こんなに、まっかで……」
「ダーカーの影響よ。こんなになってしまったけれど、設備は無事だから大丈夫。安心なさい」
「そ、そうじゃ、なくて……」
 
研究所の中まで汚染が拡がっており、どこもかしこも不気味な赤色に染められていた。しかし、それだけではない。
 
「みんなまで……」
 
目にする研究員の全員、体のどこかにダーカーコアが刺さっていた。
皆、いつも通りに各々の作業をしているのが、かえって不気味で不安だった。
 
「着いたわよ」
「ここなら安全だから、今日からここで生活するんだ」
 
気がつけば、研究室のひとつらしい部屋の前に居た。大きなガラス張りの窓があり、中の様子がうかがえた。
玩具と本が雑に散らばっている。奥には、機材に囲まれたベッドが見えた。何度か研究所に訪れていたヴィエンタには、あのベッドが普通ではないことがすぐに分かった。そもそも、この部屋の中までもダーカー因子に侵されており、壁や床が赤黒くなっている。安全に過ごせるとは思えなかった。
 
「……あんぜん……なの……?わたし、ここで、なにを……」
 
泣きそうになりながら、両親を見上げ、言った。
 
「いいかラ、入りナさい。大丈夫だかラ」
「ちゃんト言うことヲ聞きなサイ」
 
両親は、真っ赤に光る瞳でヴィエンタを見下ろしていた。
 
「かあ、さん……?とうさん……?わっ……!!」
 
無理矢理背中を押され、部屋の扉の向こうへ。散らばった玩具の上に転げると同時に、扉が閉ざされた。
 
「だ、だして!!ねえ!!どうしちゃったの!?こんなのおかしい!!ねえってばっ!!!」
「何ガおかしイの?おかしイのは……」
 
スピーカー越しに、両親は同時に言い放った。
 
「「アークス」」
 
「だっテ……私たチは、アークスのたメに、研究ノ全てヲ注いデイたのに……」
「それナのに、見捨てらレた。裏切られタんだ」
「許せなイ……許せなイ……」
 
分厚い窓ガラスに爪を立てて、ギリギリと鳴らしながら、呪詛のようにアークスへの怨嗟を吐き出した。
 
許せない。許せない。許せない。ギリギリ、ギリ。許せない、許せない、許せない…………
 
数分もの間、こればかりを聞かされ続けた。
 
「やめて……やめて……!!かあさん、とうさん……もとに、もどってよ……!!」
 
耳を塞いで蹲り、震えた。
そのうち両親は何かを言って去って行った。何を言っていたのかは分からなかった。
 
「ぐすっ……、ぅ、うう……」
 
ヴィエンタは、ベッドにも入らず、一晩泣き続けた。
両親は、研究所のみんなはおかしくなったままなのか。自分はこれからどうなるのか。自分もそのうちおかしくなってしまうのか。どうしてアークスは助けに来てくれないのか。色んな不安が重石のようにのしかかり、潰されそうだった。