あの日姿を消したヴィエンタは、ナベリウスの遺跡エリアにやってきていた。
背中の真っ黒な翼と腕を引きずり頭を抱えながら、時々木や建造物に身体を預けては、ふらふらと彷徨っている。
「……る、さい、うるさい……間違い、なんだっ……、私、はっ……」
絞り出すように呟くと、あの日の去り際のようにまたその場で倒れ込んでしまう。
「間違いだ」と口にする度ーー否、考える度に、頭が割れるように痛む。そして、自分の声ではない何者かの声が、しきりに語りかけてくる。
『ーーを、ーーする。そレがあなたノ役目』
『何モ間違ってナんかいナイよ』
『そレがあなたノ役目』
役目。役目、役目、役目役目役目やくめやくめヤクメーーーー
気が狂いそうな程に何度も何度も何度も。しかしヴィエンタはそれに抗い続け、のたうち回る。
「ーー!」
何かの足音が近付いてくる。アークスか、それとも。動けないまま顔だけをその音の方向へ向けると、もうその人物の足が目の前までやってきていた。
「……っ」
誰だ。そう尋ねる声を出すことも苦痛で、ゆっくりと顔を上げながら相手の姿を確認する。
白衣。真っ白で長い髪。髪の先端は紅く染まっている。右腕には黒い甲殻。そして、更に見上げると。
「……な、に……」
自分と同じ、黒い翼に黒い腕。背中からそれらを無数にうねらせて、こちらを見下ろしていた。どうやら女のようだが、こんな奴は知らない。何故自分と同じ翼を持っている?
言い知れない恐怖に襲われ、震え出すヴィエンタに、女は告げた。
「久シぶりね。あなたハ覚えテいなイでしょうケど……」
この声。
声だけは、聞き覚えがあった。
「あ……あ……」
先程まで、頭の中で響いていた声のひとつ。それが、この女のものだった。
ヴィエンタの中の恐怖は更に膨れ上がり、反射的に跳ね起きて女に背を向けて走り出した。
しかし。
「どコへ行くんだイ?せっかク迎えニ来たノニ」
「っ!?」
目の前には、もう1人。
今度は男。女と同じく、白衣に紅く穢れた白い髪、背中からは無数の黒い翼と黒い腕ーー
「なん、なの、迎えって何、私はお前達のことなんか知らない、近寄るなッ……」
震えた声で捲し立てるも、男女は聞く耳を持たず黒い腕でヴィエンタを捕らえた。
「い、や……あああああああああああああッ!!!!」
ヴィエンタは咄嗟にワープを使い、腕から逃れた。
「どコへ逃ゲテもだメよ。だっテ」
「私たチはお前をずっと見てイルのだかラ」
---
転移した先は、地下坑道。とにかくあの不気味な男女から離れられればどこでもよかった。
「はあっ、はあっ……、ぐ……」
震えが止まらない。まだ癒えない傷のせいなのか、拭えない恐怖のせいなのか。とにかく、心も身体も限界だった。路肩の壁際に打ち捨てられているコンテナに身体を預け、崩れ落ち、ぼやけた視界で地下坑道の閑散とした風景を見るでもなく見回す。
「……」
そういえば、ルガとアテフに出会ったのはーーメイの家族を崩壊させる発端となったのは、この地だった。自分があの時、この場所になんかいなければ。今でもそう思う事がある。
……じゃあ、なぜあの時自分はここに居た?
「私、は……?」
一体、どこから来た?
一体、何のためにここに来た?
思えば、「ヴィエンタ」という名で、ダーカーの眷属であること以外、自分で自分のことを知らない。
「あの日、地下坑道に来る前、の、私……」
覚えているのは、ずっとずっと真っ暗な闇の中で過ごしていたことだけ。
ーーしかし。
「……!!」
今、その真っ暗闇の記憶を思い起こすと。
闇の隙間から、不気味に笑いこちらを覗き込む、あの男女がいた。
ーーーーーー
『やっトね、アナタ』
『ああ、やっトだ、オルディネ』
『立派な、良い子に育っテくれて、嬉シイわ、ヴィエンタ』
『お前ヲ誇りニ思うよ、ヴィエンタ』
『きっト私たチの願いヲ叶えテくれル』
『そレがお前ノ役目なのだカラ』
ーーーーーー
「……かあ、さん……とうさん……」
あの女と男は、他でもない、ヴィエンタの両親。
そして、自分は彼らの願いを叶えるのが役目?そのために育てられた?
「願い、って……なに」
これ以上は思い出したくない。思い出しては、いけない。背中の腕まで使って頭を覆い、蹲った。
「それハあなたが今マでシテきたコト、そノものよ」
頭上から、声が降ってきた。恐る恐る見上げると、壁に開いた真っ黒な染みのような穴から這い出て、こちらを見下ろす母ーーオルディネと目が合った。
「ひ、っ……」
這うようにして壁から離れるが、その背後の地面にも穴が現れ。
「そウだな、そろソろ、思い出シてもいいだロウ」
同じように穴から姿を現した父ーーカルミオ。
2人に挟まれたヴィエンタは、最後の力を振り絞って立ち上がり、覚束ない足取りで通路を走り出した。
両親はゆっくりと歩いて追ってくる。黒い腕を先行させ、ヴィエンタを捕らえようとしていた。
「来るな……来るなッ!!」
走りながら、自分も黒い腕で両親の黒い腕を払う。そうして逃げ回りながら、オルディネの言葉を頭の中で復唱していた。
ーー『それハあなたが今マでシテきたコト、そノものよ』
今までしてきたこと……。
攻撃してきた相手を侵食してしまったこと?
独自にダーカー因子を作ったこと?
それを使ってメイたちを侵食しようとしたこと?
否、きっとその全て。
自分の存在と行い自体が、彼らの願いのためにある。
『アークスを、残らず侵食する。そレがあなたノ役目』
「ーーああ……」
そのために育てられ、両親が創り出したアークスのフォトンをも食い潰すダーカー因子を植え付けられ、あの日この惑星に放たれた。
「あ……はは、はははっ……!そっか、そっかあ……」
ゆっくりと足を止め、立ち尽くす。
「何が……何が幸せを取り戻すだ……メイの笑顔が見たいだ……。あはっ、ははは……!」
ダーカー因子を、不幸をばら撒くような存在に、幸せなんて取り戻せる訳がない。
「私たチの願イ、思い出シテくれタ?」
背後からオルディネの嬉しそうな声が聞こえた。ヴィエンタは何も言わない。何も言えない。
「だガ、まダだ」
「そウ、不完全」
「お前が最初に支配シたアークスの男ハ、10年経っタ今デモ自我ヲ残しテいル」
「浄化されル前ニ、殺サなきゃ」
「アークスに戻ル前ニ、殺サねば」
「そしてアナタにあげタ『A-ダーカスト』。もっとモット、強クしてあげナきゃ」
カルミオとオルディネの言葉を黙って聞いていたヴィエンタが、ふと顔を上げて2人を振り向く。
「……今。なんて。メイの、パパは……」
「?自我ヲ残しテいル。アークスに戻ル前ニ、殺サねばならナイ」
「……そう。なら……」
なら、パパはまだ助かるんだ。
「……ありがとう。こんな私でも、まだメイたちにしてあげられること、あるみたいだ」
「何ヲ、言ってイルの?アナタは、私たチと帰ルのよ」
オルディネが再びヴィエンタに黒い腕を伸ばす。それが届く前に、再びワープしてどこかへと消えていった。
「あいつらの手に、かかる前に……まだ助けられるって、助けてあげてって、」
メイたちに伝えなければ。
「だ、から、まダ……捕まル訳にハ……」
依然として頭に響く、オルディネとカルミオの『あなたの役目』という声に、闇が掻き立てられる。
この闇にも、あの黒い腕にも、捕まる訳にはいかない。メイたちにもう一度会って、パパのことと、彼らのことを伝えるまでは。