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大切な何もかもが、自分の手から離れていく。
微笑みかけてもみんな闇の向こうへ、『あちら側』へ行ってしまって。
自分には連れ戻せない。救えない。どうして?
ーー大切な人たちが闇に呑まれていく。誰も彼もが。手を差し伸べたそばから。
だめ、行かないで。帰ってきて。
嫌だ、いやだ。こんなのいやだ!!
どうしたら、いいの。どうすれば、救ってあげられるのーー?
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「……あ、?」
メイはやけに重い瞼をゆるゆると開けた。ひどく息が切れ、服もベッドも嫌な汗でじっとりと濡れている。目の前には見慣れない天井。ここはどこだろうか、とぼんやり思案し始めたとき。
「ーーうわああああああああー!!!メイー!!!」
「ん、うわっ……い、いてて……」
横で泣き叫ぶような声が聞こえたかと思うと、何かが勢いよく覆い被さってきた。その衝撃で、身体がズキズキと痛んだ。
「この……この!!やっと目を覚ましたかこのっ!!ワタシはもうダメかと思ったんだぞ!!ばかばかー!!!」
「これ、ナナリカ!!傷に障るだろう、退きなさい!」
「そーだよ、苦しそうじゃないか!」
覆い被さってきたのは、ナナリカ。それを叱りつけるのは、アテフとめぐ。ナナリカはアテフに無理矢理引き剥がされ、座っていたらしい椅子に無理矢理戻された。
「……あー……おは、よう?」
何と言っていいか分からず、とりあえず笑ってみせる。
「おはよう、ではないっ!!丸一日!!ずーっとずーっと目を覚まさずに魘されておったのだぞ!!」
「んあー……。……って、マジかあ……」
「マジだ!!どれだけ心配したと……」
捲し立てるナナリカを、再びアテフが制した。
「ナナリカ、メイを責めてもどうにもならんだろう。少し落ち着きなさい」
「うっ……はぁい……」
ようやく怒りを引っ込め、縮こまるナナリカ。メイはその様子を見てまた笑ったが、いつもより明らかに力のない笑顔だった。
アテフはナナリカを落ち着かせたところで、メイが置かれている状況を説明した。
「お前から連絡を受けた『Re:Busters』のマスター……えくれあ、という子が救護班に連絡を入れてくれたのだ。それから救護班に保護されて、ここで治療を受けて眠っていた……。分かるな?」
メイが未だにぼうっとしながら話を聞いているせいか、アテフは最後に理解をしているかの確認をしてきた。
(……ああ)
メイは砂漠でえくれあに連絡を入れたことを思い出す。そこから遡るように記憶が蘇っていき。
ーーそうだ、救い出せなかったんだ。
「……うん、分かる分かる〜」
思い出して、胸が締め付けられる。それを覆い隠すように、笑う。
「うむ。……何故砂漠で傷を負って倒れていたのかまでは聞かされていないが、このタイミングだ。大体の見当は、つく」
アテフの言葉が、心に深く食い込む。
「誰にも責められんことだ。メイが気に病むことはない」
「そーだぞっ、元気を出すのだっ」
「おー、別にそんなんじゃないからー……」
メイはまた、精一杯笑う。その笑顔に、余計に不安を煽られ表情を曇らせるアテフとナナリカ。そして、ここまでどこか険しい面持ちで黙っていためぐが不意に口を開いた。
「……ねえメイちゃん。大丈夫?」
メイの顔を見据えて、尋ねる。メイはいつもの通り、
「あっは、大丈夫だよ〜」
と、笑顔で答えた。その返事を聞いても、めぐの表情は険しいままだった。
「そっか。でも、ボク達は大丈夫じゃないよ」
「……え、?」
思わぬ切り返しに、メイはあからさまに混乱していた。アテフとナナリカも驚いてめぐに視線を移す。
「『大丈夫』って笑顔に乗せられて、君が危険な目に遭うのを何度見過ごしてきたか分かるかい?自分を圧し殺すのも一つの手かもしれないけど……あっくんやナナリーにまで、それを強要しないでほしいな。……2人もメイちゃんと一緒で、苦しんでるよ」
穏やかに、叱るような語調。しかし、それ以上にその言葉は重く。
「圧し殺して、なんか……」
メイはまだ笑いながら反論をしようとした。しかし、めぐの有無を言わさぬ表情と、アテフとナナリカの悲しげな表情を見て、口をつぐむ。
メイが無理をする毎に心配はすれど、そうするとまた笑って誤魔化されてしまうーーその度に、3人もまた心配という気持ちを圧し殺していたのだ。
「……ごめ、ん」
謝りながらも、顔はまだ笑っていた。めぐはこれにも眉を顰め、
「本当に、分かってるの?」
と先ほどよりも声を低くして、明確に怒気をあらわにし始めた。が、流石に見兼ねたアテフが、めぐの二の句を制した。
「そのくらいに、しておきなさい。めぐの言うことをちゃんと飲み込むにはまだ時間を要するだろう。まずは心身を休めて貰うのが先だ」
「……分かった。ねえメイちゃん、元気になったら……ボクの言ったこと、ちゃんと思い出してよね。これ以上あっくんやナナリーを困らせちゃダメだよ」
アテフもナナリカも、めぐの言うこと自体を否定してはいないーーまさしく、代弁だったのであろう。
メイは少し拳を握ると、「うん、分かってるよ」と、笑顔で首を縦に振った。
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自分の笑顔は、みんなを苦しめて、いた……。
どうしてなのか、何度考えても分からない。笑顔でいることがいけないのなら、一体どうすればいいんだろう。
泣けばいい?怒ればいい?でもそれだって、みんなを悲しませてしまうって知っている。
それにーー笑顔が消えた人たちの行く先。闇の中。自分もそうなるのが、怖かった。
どうしたらいいの。どうしたら、いいのーー。
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メイは1日の大半を眠って過ごしては、魘されていた。
「負の感情」から逃げるためのそれすらも、「負の感情」に支配されている。身体の傷は塞がっても、心は疲弊したままで。
「……あたし、は……」
何日目かの夜、暗い病室で項垂れながらなんとなしに呟く。
「どうしたら……いいんだろうなあ」
悪夢の中でも何度も吐き出した言葉。誰もいない病室で、誰が答えはしなかったーー
「……?」
ふと、風が吹いた気がした。窓のないこの部屋、扉も締め切っている。そのはずなのに。
風を感じた方に目をやる。病室の片隅に、赤黒くなにかが渦巻いていた。
「え……」
その何かから、人の形をしたものが姿を現しーーメイに穏やかに語りかける。
「やあ、メイ。久しぶりだね」
「ヴィエンタ……、」
そう、目の前に現れたのは、ヴィエンタだった。しかし、灰色だった装束は裾の端から黒く染まり、その背中からは辛うじてまだ灰色の2対の翼が不気味に揺れていた。
ぞくり、と背筋を走る怖気を抑えながら、メイは努めて明るく話す。
「あは、ヴィエンタもお見舞いに来てくれたんだ〜!なんだってこんな時間に?」
「私は今、アークスに目を付けられているからね。この時間でなければ忍び込むこともままならなかったのさ。まだ捕まる訳にはいかないし」
「いいの?今ならあたしが捕まえることだって出来ちゃうぞ〜!」
「ふふ、傷病人が何を言っているんだい?安心して休んでいればいい」
他愛のない会話。だが、微妙に話が噛み合わないことに違和感を覚え。
「安心して、って……今関係ある??」
「……」
ヴィエンタが、ニコリと笑う。
「パパのことと、お弟子さんのこと……とても、大変だったね」
「?何でそれ、知って……」
メイの問いには答えず、ヴィエンタは話し続けた。
「沢山悩んで、苦しんで、疲れ切っている……メイ、笑っていたって分かるんだよ」
「……はは、そんなこと、」
否定しようとするメイの語尾を遮り、ヴィエンタが足音を鳴らす。部屋の片隅からメイの居るベッドに向けて、ゆっくりと歩き出していた。
「でも……それももうここまで。やっと、やっとメイを幸せにしてあげられるんだ。だから、安心して」
恍惚とした表情を浮かべながら、一歩、また一歩。
メイの中に、言い知れない「恐怖」が芽生える。引き攣った笑顔を貼り付けながら、ベッドの上で少しずつ後退る。
「大丈夫だよ」
ヴィエンタはベッドの目の前まで来ると、右手のひらを胸の前で開く。その上で、小さくも禍々しいフォトンが渦巻いた。
ーー嫌だ。
メイは弾かれるように起き上がり、ベッドから降りようとした。が、身体が上手く動かない。ベッドから床に滑り落ち、なお立ち上がろうとするが、足が竦んでしまっている。
ヴィエンタはメイの側に歩み寄り、しゃがんで目線を合わせ。
「パパに、会いに行こう」
そう優しく語り掛けーー右手を、メイの額へ。
「……、ぁ、あ、……!!」
フォトンが触れた瞬間、
メイがこれまでに封じ込めてきたモノが、急速に溢れ出し始めたーー