7/2-幸せにしたくて、なれなくて

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ヴィエンタの正体を聞かされたメイは、目をまん丸くしていた。

対するヴィエンタは、今にも泣き出しそうな顔で俯いている。

 

「て、訳だ。まー、こんな感じだから、ヴィエンタが聞かれたくなかったのも分かるだろ?」

 

ルガに問い掛けられたメイはーーにっこりと笑った。

 

「ちょっとびっくりしたけど、そんなのぜーんぜんきにしないもん!!いまのヴィエンタは、いいこだもん!ねっ!」

 

俯くヴィエンタに、メイは明るく元気付ける。メイの言葉に顔を上げたヴィエンタは、ぽろぽろと涙を溢れさせ。

 

「メイ……メイ、ありがとう」

 

やっと、心からの笑顔を見せた。

 

「いーの!!もー、ヴィエンタはなきむしさんだなー!」

 

そんなヴィエンタを、メイはもう一度抱き締めた。

どうなることか、と内心冷や冷やしていた3人の大人たちは、ほっと胸を撫で下ろした。そして、ルガに至っては何故か涙を流していた。

 

「何故お前が泣いているんだ……」

「だっでぇ……ああ、メイ……ほんとーに良い子だなぁ……ぐすっ」

「もう、そんなに泣かれたら私も泣けてきちゃうじゃないの……」

 

そうして5人は笑い合い、ヴィエンタとルガが泣き止むと、楽しく鬼ごっこを始めたーー。

 

 

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それから数週間。

 

「メイ、きょうはなにをするの?」

「そーだなー……じゃ、おえかきしよ!!」

「オエカキ……うん、わかった。おしえてね、メイ」

「もちろんだよー!」

 

すっかり仲良くなったメイとヴィエンタは、姉妹のようにじゃれあっていた。

この日は両親もアテフも任務に出掛けており、皆の帰りを待ちながらクレヨンを片手に画用紙と睨めっこしていた。

 

「これで、ここに、こーやって……」

「!!いろ……!」

「そう、いろがつくの!!クレヨン、いっぱいつかっていいから、ヴィエンタもなんかかいてみてっ!」

「うん。やってみる」

 

メイは画用紙を千切って、ヴィエンタに渡した。ヴィエンタは画用紙を床に置きーークレヨンを手に取った。

 

「……」

 

握り締めているのは黒色。

ヴィエンタは、生まれてからの殆どの時間を色と共に過ごしてきた。これ以外の色は、今まで知らなかった。

 

「……ちがう」

 

小さくそう呟くと、黒のクレヨンをケースに戻す。戻しながら、目の前で夢中になって画用紙に殴り描きしているメイを見た。

 

「……これが、いい」

 

ヴィエンタは黒色以外のクレヨンを1本、手に取った。

 

 

 

 

 

「でっきたー!!!」

 

メイが笑顔を輝かせながら、画用紙を持ち上げた。

 

「ヴィエンタはー??できたっ?」

「あっ……」

 

ヴィエンタは慌てて画用紙を裏返す。メイが首を傾げていると、裏返した画用紙を持って立ち上がり、メイに渡した。

 

「……あげる」

「んー??なになにっ??」

 

メイが渡された画用紙を表に返すと、そこには。

 

「わーっ!!!すっごいー!!これ、あたしだっ!!」

「……」

 

ヴィエンタは照れ臭そうに俯きこくりと頷いた。

 

「ありがとーっ!!すっごいじょうず!!だいじにするねっ!!」

「うん……」

 

緑のクレヨンで、画用紙いっぱいに、よれよれの線で描かれていたのは、メイの似顔絵だった。メイは自分が描いていた画用紙を放り投げ、ヴィエンタが描いてくれたそれを高らかに持ち上げながらぴょんぴょんと跳ね回った。

 

「……」

 

ヴィエンタは足元にひらりと落ちてきたメイの画用紙を拾って、こっそり表に返した。

描いてあるのは……初めて一緒に遊んだ公園だろうか。あそこに咲いていた色とりどりの花や、賑やかしの幾何学的なオブジェがぐちゃぐちゃに描かれていた。この自由奔放な筆跡は、メイの性格を物語っているようで。

 

「……ふふ」

 

思わず、笑いがこぼれた。

それを聞き付けたメイが、くるりと振り向き。

 

「あーっ!!わらったな〜!」

「あっは、ごめんってば……」

 

本気で怒ってはいないようで、ヴィエンタがくれた似顔絵を小脇に抱えながらいたずらな笑みでヴィエンタをグーでぽこぽこと叩く。ヴィエンタはしばらく、されるがままになった。

 

 

 

 

 

夜になると、ルガとマルカが任務を終えて帰ってきた。今日はアテフは一緒ではないらしい。

 

「パパ!ママ!おかえりー!!ねえみてみてっ!!これヴィエンタがかいてくれたんだー!!」

「ただいま!!どれどれ……おおー!!メイそっくりじゃないか!!ほらマルカ!」

「あら、ほんと!ヴィエンタ、上手なのね!」

 

ルガとマルカに褒められ、メイの隣のヴィエンタは頬を赤らめながら笑った。

 

「さてと。早く晩ご飯の支度しなくちゃね!」

「おっと、オレも手伝うよ!」

 

そう言って、メイとヴィエンタを横切ってマルカとルガがキッチンへと向かっていった。

 

「……っ」

 

ルガが隣を通り過ぎたとき、ヴィエンタが微かに肩を震わせ、はっとしてルガの方を振り向く。メイは何事かとヴィエンタの顔を覗き込んだ。

 

「……どしたの?」

「え……、あ……」

 

ヴィエンタは少し目線を泳がせたあと、取り繕うように微笑んで見せた。

 

「……なんでも、ないよ」

「そう??じゃいっか!!」

 

メイが小躍りしながら似顔絵を片付けに行くのを見送りーーヴィエンタは立ち尽くし、キッチンに立つルガの背中を震えながら見ていた。

 

 

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異変が起き始めたーー否、メイが異変を感じられるようになったのは、そのさらに数ヶ月後。

 

「パパ、いってらっしゃーい!!」

 

数日前から、ルガの様子がおかしい。

 

「……ん?ああ、メイ!今日もサクッと任務やっつけてくるからな!!」

 

メイはいつも通り、任務に出掛けるルガを笑顔で見送った。

いつも通りの笑顔。メイに見せる顔はずっと変わらない。

しかし、メイは知っていた。

 

「……パパ」

 

深夜、今まで見せたことのない苦しげな表情で家を出ていっては、しばらくして戻ってきてまた苦しげな表情で眠っていることを。

どこか、病気なのかな。心配で、不安で、悲しくなるーー

 

「メイ……」

「!」

 

後ろで、不安げな表情で立つヴィエンタ。

 

ーーそう、自分まで不安になっていては、家族がみんな暗くなってしまう。

 

『自分が笑えば、オレもハッピー!!みんなもハッピー!!』

 

父親がよく口にしていた言葉を思い出す。メイもこの考え方に大きく影響され、笑顔を絶やさない元気な子に育った。

そして、このときも。

 

「だいじょうぶだよ!!ね、きょうはなにしてあそぼっか!」

 

ヴィエンタを元気付けるため、心配も不安も全て笑顔の下へ封じ込めた。しかし、当のヴィエンタの表情は晴れず。

 

「……ごめん、なさい……」

「えっ??なにがっ??」

「わたしの、せいなんだ……わたしさえ、いなければ……」

「ヴィエンタ……?」

 

何のことか分からない。

メイはとにかくヴィエンタに笑顔になってもらおうと、ヴィエンタを抱き締めた。

 

 

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それからもずっと、ルガとヴィエンタの異変は続いた。

特にルガは、日を追うごとに悪化していった。ついに家族の前でも笑うことが少なくなり、一家に少しずつ暗い空気が増していく。しかしメイだけは、そんな中でも弾ける笑顔で家族を元気付けようと奮闘していたのだった。

 

 

 

 

ーーそんな生活が続き、2年後。

 

 

A.P.230。

異変はついに、最悪の事態を招いた。

 

「ねえママ、パパとヴィエンタは……?」

「大丈夫、心配しないで。ママが探しに行ってあげるから。アテフさん、今日もよろしくお願いします」

「ああ。メイ……良い子でお留守番しておくんだよ」

「……うん!わかった、ちゃんとまってる!」

 

数日前から、ルガとヴィエンタが家に帰らない。

ずっと捜索を続けていたが、何も得られずにいた。そしてこんなときに、よりにもよってアークスシップをダーカーが襲撃してきたのだ。

 

「パパ……ママ……、ヴィエンタ、アテフおじさん……」

 

メイは不安に押しつぶされそうになり、リビングの隅で1人蹲る。

誰もいない静かな家。聞こえるのは、外からの音……ダーカーたちの断末魔、アークスたちが武器を振るう音、銃声、戦闘機のエンジン音。

 

「……」

 

怖い。

でも……

 

「……ごめんなさい、ママ、アテフおじさん」

 

居ても立っても居られず、あろうことかメイは混沌と化した市街地へと飛び出して行ったーー。

 

 

 

 

 

戦闘の激しい場所を避けながら、時々瓦礫に足を取られ、ひたすら走る。

 

「パパ!!ママ!!みんな、どこっ!!」

 

声が枯れそうになるくらい、何度も何度も叫んだ。しかしそれが災いし、声に引き寄せられたダーカーたちがメイを取り囲んだ。

 

「っ……!!」

 

メイは恐怖に顔を歪ませながら思わず蹲る。だが、ダーカーたちがメイに襲い掛かることはなかった。

 

「メイッ!!!」

 

聞き慣れた声。思わず顔を上げると、そこには母親の顔があった。

 

「お留守番しておきなさいって言ったのに……!!」

「ご、ごめん、なさい……」

 

メイを叱りながら、マルカはロッドを振るいテクニックでダーカーたちを一掃。そして、メイを抱き締めた。

 

「もう……!!どうなるかと思ったのよ……!」

「ママ……」

 

ごめんなさい。もう一度謝ろうとしたとき。

 

「ママ?」

 

ざく、という肉を裂く音と同時に、メイを抱き締めるマルカの腕がびくりと震えた。そのままマルカは、その場に崩れ落ちた。

 

「ママ……?」

 

マルカの背には、斬り傷が深々と刻まれていた。血溜まりの中でぴくりとも動かない母親を、ただ見下ろす。そして、自分にかかる影に気付くと、恐る恐る顔を上げた。

 

「……パ、パ」

 

その影の主は、ルガ。しかしその姿は変わり果ててしまっていた。

 

全身に纏う、ダーカー因子で形成された黒衣。背中に生える2対の翼。ダーカー因子とマルカの血で赤黒く変色したツインダガー。

 

「……だいじょうぶ」

 

そんな父親の姿を見たメイは、

 

「おうち、かえろっ……!」

 

ーー笑っていた。

 

自分が笑えば、相手も幸せになれる。

理由は分からないけど、パパは今笑顔でいられなくなってるんだ。

だから、笑わなくちゃ。

 

ダガーが振り上げられても、構わず笑う。元に戻ってくれることを頑なに信じて。

 

「……、ろ、」

 

父親が、言葉を発した。

 

「逃げ、ろ、メイ」

 

その表情は酷く悲しげで。

しかし次の瞬間には、無機質な表情に戻っていた。

 

「……パパ」

 

ツインダガーは無慈悲にも振り下ろされる。それでもメイは笑うことをやめなかった。

 

「ーーはあああああッ!!!」

 

その刃がメイを切り裂こうとしていた間際、不意に聞こえた叫びとともにやってきた何かが父親を大きく突き飛ばした。

 

「メイ……!!」

 

それは、アテフだった。渾身のシンフォニックドライブを叩き込みルガを蹴り飛ばしたのだ。

 

「……」

 

ふらりと起き上がったルガは、そのまま何も言わずに赤黒いフォトンを纏って消えていった。

 

「待て……!!ルガッ!!」

 

アテフの叫びは当然届くはずもなかった。悔しげに顔を歪めるが、すぐに振り返ってへたり込んでいるメイのもとへと駆け寄った。

 

メイは両手で頭を抱え込み、未だに笑っていた。しかし、それは最早楽しげなそれとは程遠い。

悲しみ、不安、恐怖。溢れ出すそれらを、無理矢理押さえ込み。

 

自分は、自分だけは笑っていなければ。だってパパはそう教えてくれてーー

 

「っ、誰だ!!」

 

アテフの怒声に、びくっと体を震わせた。振り向くと、2人の目線の先には。

 

「ごめん、なさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「ヴィエンタ……!」

 

泣きながら2人へ必死に謝るヴィエンタが立っていた。

 

「わたし、の、せい……ぜんぶ……」

「……なに、いってるの?」

 

メイはふらりと立ち上がり、ヴィエンタへ笑顔を向ける。

本人が気付かないうちに歪みきってしまった、笑顔を。

 

「ね、かえろう?」

「っ……こない、で……」

「だいじょうぶだから。きょうは、なにしてあそぼう?」

「……あああああああああああッ!!!」

 

歩み寄るメイの言葉を振り切るかのように、ヴィエンタもまた禍々しいフォトンを纏って消えてしまった。

 

「……」

 

メイは何もなくなった虚空を見つめ、立ち尽くしたーー

 

 

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メイがヴィエンタの言葉の意味を知ったのは、それから数ヶ月後。

 

メイの精神状態が落ち着いてすぐ、アテフの口から説明された。

 

「ヴィエンタが元々持っていたダーカー因子……。俺もルガも、あのときは『浄化した』ものだと思っていた」

 

しかし、実際は。

 

「どういう訳か、それはルガの中に宿ってフォトンを食い潰していたらしい。ルガの様子がおかしくなってから、マルカと共にルガを検査に連れて行って分かったのだ」

 

ヴィエンタが謝っていたのは、このことだった。

きっとヴィエンタはルガの中に宿った自分と同じ性質のダーカー因子が増大していくのを感じ取り、自分のせいだと確信していたのだろう。

 

「勿論何度も浄化を試みたが、このダーカー因子はびくともしなかった。為すすべがない。このままいつ完全に侵食されてしまうか分からない……。だから夜中に家を出て、もし侵食されてしまったときに家族を巻き込まないようにしていた」

 

メイが父親の異変に気付いたときには、もう随分侵食が進んでいたのだ。

 

「メイを不安にさせたくないがために、俺も含め皆このことを黙っていた……本当にすまない」

 

病室のベッドで、アテフの話を黙って聞いていたメイ。いくら心を持ち直したとはいえ、メイにとっては辛い事実であろう。

 

しかし。

 

「そーだったんだ!いいよ、だっていまはなしてくれたじゃん!」

 

メイは笑っていた。一見以前と変わらない、快活な笑顔で。

だが、アテフには分かる。これが闇を覆い隠すための笑顔である、ということがーー。

 

「だいじょーぶ??ね、ぎゅーってしてあげよっか!!」

 

 

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