メイがアテフと共に訪れたかった場所は市街地にあった。それは、「あの日」以来ずっと避け続けていた、幼い頃に過ごした区画。
ルガが一度襲撃してきた時は「あの日」の悲劇に囚われて動けず、ルガに対して偽りの笑顔を向けていた。過去にも自分の心にも真に向き合えず、背を向けて、何が救えるというのか。
でも今は、自分の心と向き合うことは出来ている。負の感情を受け入れ、自分に嘘をつかず、心を強く持つことのできた今こそ、「あの日」の悲劇に向き合う時。
歩道を歩き、区画の手前まで辿り着くと、メイは一度足を止めた。アテフも続いてメイの隣で立ち止まり、この先に続く懐かしい区画を眺める。
「何だかんだ、俺も『あの日』以来ここには来ていなかったな……。俺にとってもいい機会だよ、メイ」
「へへ、そうだろうと思ってたんだよ〜!一緒に来れてよかった!」
にこやかに話していたが、区画に一歩踏み出そうという時には、2人ともそれぞれに思いを抱えた表情をしていた。
「……んじゃ、行こっか!」
「ああ」
今は傷跡の残らない街並みを眺めながら、歩道を歩く。見覚えのある建物もあれば、様変わりした場所もあった。しかしなにも、ふるさとを懐かしむために来たのではない。2人の中では今、『あの日』が、そしてルガが襲撃してきた時のことが思い起こされ、表情に影を落とし込んでいた。
それでも、引き返さない。引き返すわけにはいかない。
「メイ。大丈夫か?」
アテフは自分よりもずっと苦しく悲しい思いを抱えているであろうメイに問いかけた。
心配の気持ち──しかしそれ以上に、自分の思いに正直であるかを確かめたかったのだ。以前までのメイであればすかさず、あの貼り付けられた笑顔で「大丈夫」と答えただろう。
「最悪、だよ。でもそんなこと言ってらんないじゃん。次にパパと会う時に、しっかりしていられるようにここに来たんだからさ!」
「……ふ、そうだな」
暗くありながらも、決意に満ちた眼だ──アテフはほっと胸をなでおろし微笑んだ。そして、不意に立ち止まって、アテフも何かを決意したように目を細め、空を見上げた。
「俺も、そろそろ前へ進まねばなるまい……」
「えっ?」
「今のお前だから話せることだ。そうだな……あの時の公園で腰を落ち着けて話そう」
「……わかった!行こ!」
あの時……ヴィエンタと出会ってから初めて外で遊んだ、あの公園。そこで何が話されるのか、メイは少しの緊張を帯びながら再び歩き出した。
公園は、あの当時と殆ど様子が変わっていない。芝生や低木の緑や色とりどりの花の上に、幾何学的なオブジェ。そして一番奥、階段を上がりそれらを一望できる小高い噴水の広場のベンチで、2人は話し込んでいた。
「まあ、どうということは無いのだが……。これから言うことで、お前はあまり気に病まないで欲しい、とだけ前置きしておこう」
「お、おお……。わかった!」
アテフは静かに目を閉じて、語り出した。
「メイの両親と俺は、10年近くにもなろうかという長きに渡って、戦友として戦ってきた。メイが生まれる前からな。その無二の戦友の1人が、未知のダーカー因子に侵されたと分かった時は……俺も、どん底に落とされた心地だったよ」
アテフの横顔を見つめるメイの表情が、悲しげに曇った。
「その原因がヴィエンタだと判明した時も、やり切れない気持ちだったさ。だが、ヴィエンタを恨んだところでどうにもならん。そんな思いを抱えているうちに、とうとう『あの日』が来てしまったのだ」
アテフの表情もまた、悲しいような、苦しいような表情に変わる。今までに見たことの無い、弱々しい姿だった。
「己の気持ちに折り合いも付けられぬうちに、メイを保護することになり……メイは、なんでも偽りの笑顔の下に隠そうとするものだから、今この時まで、不安な様を見せる訳にはいかなかったのだ」
気に病むな、とはこのことだったのか。
(全然……知らなかった)
自分を偽り押し隠すことの恐ろしさと苦しさを、メイはなにより分かっていた。これまで「偽りの笑顔」でアテフに押し付けてきたものは、計り知れない──。
「……ごめん」
「気に病むなと言っただろう。メイが己の気持ちに向き合えた今だからこそ、俺も向き合ってみようと思ったまでなのだからな。隠してきたのはお互い様だ」
「そりゃあ、そうだけど……でも、ごめん」
気に病まない方がおかしな話か……。
アテフはメイが顔を上げるのを待った。数分の沈黙の後、ようやくメイが口を開いた。
「……これじゃあ、せっかくアテフおじさんが自分の気持ち話してくれたのに申し訳ないよね……。うん、よしっ」
ばっ、とアテフの目を見、
「……ありがと、話してくれて。これからはさ、アテフおじさんも我慢しなくていいからね。あたし、いつでも話聞くから。ねっ!」
と優しく微笑んだ。
嘘偽りない、心からアテフを思っての笑顔。真っ向から向けられたそれが、アテフにはとても嬉しかった。
「ああ……有難う」
さて、次の場所へ行こうか。と、立ち上がって歩き出したアテフの目には、僅かに涙が滲んでいた。
2人が次に訪れたのは、まさに『あの日』の悲劇が起きた場所。ダークファルスと化した父が、メイの目の前で母を殺し、ヴィエンタと最悪の形で別れることとなった、この道路だった。
道路には車が行き交っているため、歩道からその場所を眺めることになった。立ち止まり、ビルの壁際で、『あの日』を思い出しながら。
「……ああー……」
さしものメイも、ここでは頭を抱えて俯いてしまった。やはり、どれだけ心を強く持とうとも、トラウマは簡単に挫けるものではなかった。しばらくそうして震えていたかと思うと、その場にへたり込んでしまった。
アテフは何も言わず、隣にしゃがんでメイの背をさすっていた。そうしながら、腕の隙間から見えるメイの横顔をうかがう。
(……よかった)
アテフは安堵した。
メイはちゃんと、泣いている。泣けている。『あの日』のような、そしてルガが襲ってきたあの時のような、偽った顔ではない。
トラウマは簡単には挫けない。だからこそ挫こうとはせず、押し隠さず、真っ向から受け止める。メイにはこれが必要だった。
「う、うっ……、パパ……ママ……。ヴィエンタ……、ぅうっ、ああああっ……!!」
メイは人目を憚らずに泣き喚いた。道行く人々がちらと目を向けてくるが、どのみちさして気にしてはいないだろう。アテフはメイが泣くのを止めず、ただ優しく背や頭を撫で続けた。
そうして十数分も経った頃、ようやくメイは落ち着きを取り戻した。めちゃくちゃに涙を拭きながら、呼吸を整えて、泣き腫らした目をゆっくりとアテフに向けた。
「はは……ダメだこりゃ……。平気じゃないのは分かってたけど……ここまでなんてなあ」
「ダメなことはないさ。むしろ、大したものだ。平気ではないということを、知ることが出来たのだから」
「そ、か……。そーいや、全部笑って済ましてたんだよなぁ、あたし……」
それを思えば、今の方がずっと正直に過去と向き合えている。まだ「大丈夫」とは言えないけれど、メイにとっては大きな第一歩だった。
「……ねー、アテフおじさん」
「うん?」
「もーちょっとだけ、ここに居ていーかな?やっぱ、パパを迎えるときは笑ってたいし、ヴィエンタにだってまだホントの笑顔ってやつ、見せられてないから……今のうちに、もう少し泣いときたいっていうか……」
「ああ……。勿論だ」
アテフもメイの隣で『あの日』を思い返しながら、目を閉じた。
この区画を後にする頃には、2人は訪れた時よりもずっと力強い足取りで、前を向いて歩いていた。
これで、本当の自分でパパとヴィエンタを迎えられる。
これで、心のわだかまりを払い真っ直ぐにルガとヴィエンタを迎えられる。
メイとアテフは、それぞれ心に強さをしっかり秘めて、来るべき日を見据えていた。